いいところ

君のいいところは君はわからない。

長所(いまできること)をそのまま行動に結びつけることは不幸の始まりとなりやすい。が、長所を知る(知っておく)ことは、単純に生きていく上で必要不可欠。自分のいいところを自分でわからないなんて、なんかセツないじゃん。

しかし困ったもんだ。自分の長所ってやつは兎に角わかりにくい。〜あぁ、短所はこんなにはっきりわかるというのに!!〜 これでいいの?これだよね、おれのいいところ?そんなふうにみんなに聞けたらどんだけラクか。でも自ら他人に自分のいいところを聞くなんて、顔から火が出るくらい恥ずかしい。無理無理。でも知りたい、自分のいいところ…。

ならばなにかいい方法はないかしら?諦めたら試合終了ですよはバスケットマンの共通精神。理想は自分が聞かなくても相手が言ってくれること。でもどうすれば?

「他人は自分の鏡」ってよく言うな。ホントかしら?試してみる?自分から他人のいいところ言ってみる?うーん、イヤラシイかな。でもなんも変わらんよりいいか。やってみるか。やるなら断固たる決意で。イヤ、それやと重たい。軽く始めよ。自分に甘く、他人にも甘く。

君のいいところは僕がわかる。

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ロデオ杯の画像をアップロードしたのだけど、僕のiphoneでは足羽戦しか観れない。いま検証中です。ご迷惑おかけします。

バファリンと工大クラブ

バファリンの半分は優しさでできている。

とはうまくいったものだ。では優しさとはなにか?愛でしょ。バファリンの半分は愛でできている。では愛とはなにか?エゴでしょ。バファリンの半分はエゴでできている。ではエゴとはなにか?欲望でしょ。バファリンの半分は欲望でできている。半分というか全部欲望っぽいけど。て、なんの話だ。

「優しさ」という言葉を使ったライオン株式会社のうまさは、「優しさ」が持ち得る「人を思考停止させる力」をうまく使ったところにある。

優しさと聞いて「優しさってなんやねん!」とツッコむ捻くれは果たして何パーセントいるだろうか。一割もいないのではないかと思う。優しさが持つ「アバウトさ」は、それほど巨大であり、いまなお膨張しているように感じる。

で、優しさのような、人を思考停止にさせる言葉を、実は僕らは自分が思う以上に日々無意識で使っている。おそらく、そうもしなければ僕らの脳みそがついていけないのだろう。12時間常に考えまくる職業柄なもので、考えたあとの疲労感はよくわかる。もう、夕食にはビールが欲しくてたまらない。ビールという思考停止の力を借りないと、頭がおかしくなりそうなのだ。

つまり思考停止とは、例えば睡眠のように、自分を休める、人間にとって必要不可欠な時間なのではないか?

この考え方を以って、工大クラブの全貌を明らかにする。フレアスクリーンやダウンスクリーンからのスリーポイントシュート。そこからのアフタースクリーンでのポストアップ、ヘルプよらして逆サイド展開、そしてコーナーへ落としてまたシュート。というのは最早、彼らにとって思考停止プレーである。そう。そしてこれこそが彼らのおハコなのである。つまり、

思考停止しながらできるようになったプレーは、おハコプレーになる。

思考停止までいくには思考する他ない。が、思考の結果、どこまでいけばよいか?という問には結論が出たように思う。思考しない。思考する必要がないところまでそのプレーを繰り返す。するとまた思考しなければならないプレーが出てくる。そうやって何層にも思考停止プレーが重なる。それがつまり成長である。

なぜ僕は下手か。

強くなるには弱さを包括する必要がある。

弱いヤツの気持ちがわからんヤツは絶対強いヤツではない。そのフリはできるけどね。てか、単純に、そういうヤツ僕キライ。

うまくなるには下手さを包括する必要がある。

下手なヤツの気持ちがわからんヤツは絶対うまいヤツではない。そのフリはできるけどね。てか、単純に、そういうヤツ僕キライ。

下手さはキラワレナイためにある。

明日3月29日金曜日

ロデオ杯、全五試合、アップロード完了予定。

プラス、ラスト福井コンピュータ。本当に近いわたしの会社から、本当に近い元わたしの会社へ。

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責めるべきは罪(行動)であって人間ではない。

理想論甚だしいとは言え、それを否定しては元も子もないのは寧ろ自分のほうだろう。組織が組織である以上、理想を目指すことは義務であり、理想を目指すこと自体が理想とかアホなことヌカすエセ現実主義理論はシカトが必要だ。

僕らには、それが試練だとか糧だとか云う前に、揉み消すことも栓をすることもできない過去がある。得たものもあるが失ったものがある。

それは自分の目であり、自分の耳であった。なくてはならない、失ってはいけないものであった。

未だ僕らは失ったもののほうが大きい。いつかこの穴を埋めることはできるのだろうか。否、できない。できることはひとつしかない。この穴を広げないことである。この穴を埋める代わりのものなど決して探すな。代わりなどない。代わりなどいない。

そう考えたとき、最早、罪を責めることさえできない。

ピックは必ず使う。

スクリーナーがピックにきて、それを使わない場面がこん大会何回か見受けられた。ここで言う「使わない」とは、ボールを持っている人間がドリブルもなにもせずに逆サイドにパスしてしまうことを指す。このプレーだけは辞めたほうがいい。

暗黙知(頭の中に感覚としてあるが具現化できないこと)とまではいかないまでも、僕はこれをうまく説明することはできない。が、例えてみるならばピックスクリーンとは、義理の母親の料理だろうか。その心は、全く手をつけないのは失礼に値する。うーん、なんの説明にもなっていない。

あ、わかった。

ピックスクリーンがあった場面、まわりの人間は、とりあえずなにかしらのアクションがあるものと考える。それはたぶん、通常の1on1の状態よりも何倍も強く。それなのになんのアクションも起きずにこちらにパスされると、その想定の分タイミングがズレてしまうのではないか。そのように思う。

スクリーンに来てドリブルまでの間は一定時間あいていい。ただ、スクリーンは必ず使おう。どういう形であったとしても。

できることとやりたいこと

未だに年に一回は必ず聞かれる。

「なんでDRC辞めたの?」

そんなもんロデオがいいでに決まってるがな。やりたいことをやるんが一番なの。できることをやるんじゃないだよ。そこらへんがわっからんかなー。

なんてモヤモヤしてたらこんな坊主の想いを代弁してくれてるブログ記事があったので紹介。

自分の強みを活かすというアホらしい発想

「自分が他者より巧くできることをやるべきだ。それを選ばねばならぬ!」って、超貧乏性な発想だよね。

いま苦しんでる人はここらへんの考え方変えると、ガラッとよくなったりするんだよね。

米さん

イメージこそが存在である。

まいど!から始まるメールが来ると、何故かいまでも緊張する。数年前、教え子と飲んだときにそいつが言った「メールが来て、受信フォルダをあけてそこに大西って書いてあったら、なにをしていても震えあがったもんです」。なにを馬鹿なと思ったがその気持ちがいまよくわかる(震えあがるわけではないが)。

ロデオの魂が米さんから木村の体内に引き継がれて三ヶ月ほど経つが、それでもなお、と言うより、寧ろなお、その影響力は大きい。


おまえ、米さんいたらキレてんぞ。

お母さんが子どもに言う「神様が見てるよ」の決まり文句ではないが、もはやロデオでは神様と対等の如く扱われる(言い過ぎ)。ただ、あの人がいたら多分こんなことを言ったのではないか、この人がいたら多分こういうことをしたのではないかというイメージは、実は「人が存在するとは?」という、ともすれば大変に哲学的な問いにおける的を得た解となり得るのではないか。

イメージの強さは、存在の強さである。まいど!とは周囲が抱く米さんそのものの存在なのである。

なーんてことを、仕事もせずに思い巡らす夕方6時。いまから十号ホルモンです。チャリだから雨降らせないでね、米さん、じゃなくて神様。