指導者

その人の感謝の量とハードルの高さは反比例する。

「ラクに成長してもらう」というのは指導者の永遠の課題である。ラクな指導でラクな成長は不可能であるから指導者側には相当の負担になる。しかし体罰など起きようがない、その考えであれば。選手や生徒、子どもにとっては最高の指導であることは間違いないと、信じている。

またその指導は「感謝の絶対量」を増やす。

選手や生徒、子どものことを考え貫いたとき、行き着く先は選手の未熟さではなく自分の未熟さである。そしてその未熟者の意見に耳を傾け信じてくれる者のなんと尊いことか。感謝以外のなにものでもない。それを自覚せずして指導者とはまさに名ばかりなり。

感謝のある指導者は「あなたはそのままでいい」という概念に行き着く。あなたを受けれてから始めよう。あなたがなりたいものになろう。あなたが行きたいところに行こう。

そのように接する指導者をもった経験は、選手や生徒、子どもの生涯に影響する。いずれ必ず感謝を感じる人間と成長する。勝手に。自由に。その姿を見てスウェーデンの社会思想家エレンケイはこう言った。「教育の最大の秘訣は教育しないことである。」自立し自律した姿はそれほど見るものを感動させる。

「そこにいること」にありがたさを感じ、「ここにいれること」に感謝できる人間の相手に対するハードルは、それ以上低くなり得ない高さである。しかし彼らはその遥か上空を飛んでいくのだ。それは反比例かのごとく。

他人に多くを求める人間ほど、感謝の少ない人間である。他人に多くを求めない、自分に多くを求める、そんな指導者になりたい。

人はみな立場あるものである。仕事者になり、彼氏になり、夫になり、父親である。それは指導者である。つまり「人はみな指導者になる」のだ。そうなることより、そうなったときになにをするかを求められる、今である。

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